オーヴォ 2月11日(木)8時40分配信
どこまでを言葉にし、どこから察するか。人間関係で一番難しいかもしれないこの問いは、夫婦の間でも普遍だ。一杯飲んだグラスをキッチンのシンクにそのまま置く夫。洗う妻。何気ない日常の風景だが、「自分で洗って」という一言を言わない妻に、不満がないとは言い切れない。これが離婚に発展した男性が、一部始終をブログに書いて、話題になっている。
筆者は、アメリカのマチュー・フレイさん。「時々、飲んだグラスをそのままシンクに置いたんだ。僕にとっては取るに足らないことだった。でも妻にとっては重大事だった。彼女がキッチンに行って僕のグラスを洗うたびに、僕たちの結婚生活は少しずつ終わりに向かってた。僕が知らなかっただけなんだ」
フレイさんの妻は時々、「何をしてほしいかを全部言葉にするのは疲れる」と言っていたが、フレイさんは「これをしてほしい、と言ってくれれば、いつだって喜んでするよ」と答えていたという。グラスを洗う、という“瑣末(さまつ)”なことだからこそ、いちいち言いたくない、という妻と、言ってくれればやるのに、という夫のすれ違いは拡大した。どの夫婦にも心当たりのあることだろう。
なぜグラスをシンクに置きっぱなしにするのか? 「また使うかもしれないし、そもそもシンクに置きっぱなしになっているグラスが気にならないから」とフレイさん。「でも、たった数秒ですぐ近くにある食洗器にグラスを入れることができるのに、それをしないのは、彼女をリスペクトしていないと受け取られる、ということが分かった。汚れたグラス自体の問題じゃなく、それが意味してしまう“僕の気持ち”の問題だった」。
そして結論に至ったフレイさん。妻の意思を大切にする、ということは「グラスを食洗器に入れる、脱いだものを床に置きっぱなしにしない、子供のことも手伝う、帰りに何か買うものはあるかい?と聞く、愛してるよという意志が伝わる小さなことをする」ことなのだ、と書く。相手が望んでいることをするのは、相手への尊敬の気持ちの表れ。「たとえその行為の意味がよく分からないままだとしても、それが理解できれば、すべては変わる」。共働きが普通の現代。お互い忙しい日常生活の中で、相手への思いやり、にすべては集約されるのかも。
・Huffpost
・Figaro Madame